ガラス工芸作家・山田えい子主宰 宝塚すみれギャラリー

わ・た・し・の旅ガラス

〜フランス編〜

小雨の降るシャルルドゴール空港からパリ市内へと近づくにつれ、アールヌーヴォーの香りがする街路灯の灯りが、几帳面に敷きつめられたモザイク石に、乱反射して美しかった。 アールヌーヴォー(新しい芸術)は、十九世紀の産業革命による大量生産の氾濫で個性のない物になっていった。 その中で、創作の基本を自然に求め、心の豊かさを求めたのが、アールヌーヴォー運動であったと言われている。 路地の入り口でTaxiを降り、昔歩いた懐かしい石畳を歩く。雨上がりのウィンドウは涙形の滴がキラキラ輝いて中のガラスランプをより一層幻想的に演出してくれているのが妙に嬉しかった。そのランプはアールヌーヴォー運動の推進者、エミール・ガレの稀少な外被せの作品で、ガラスの表面に、薄い色ガラスを三層に着けた外被せガラスで、サクラかウメか判別できない日本的な模様を幻想的に浮き彫り表現してある。 前歯の一本抜けた初老の店主は、大きなジェスチャーを交え「これはナンシーのガレ自身が作った物なんだ。今世の中に出ている物の殆んどは、一層だけ段を彫ってあとはエナメルペインティングして綺麗に見せているだけ。その一層もフッ化水素で量産した物で、多い時には300人の職人が作っておった。 これは三層じゃよ三層!三層で、二段も三段も段をつけ表現してあるガレの作品は、世界でも十数点しか無いんだよ。」自慢げに話す主の、堀の深い表情は豊で、ポパイの顔とオーバーラップさせて聞いていた。(外被せとして日本で代表的なものに、瑠璃色=紺色の一層外被せにカットを施した薩摩切子がある)

店の中にはガレの継承者と言われるドームの古い作品も僅かに埃が掛かった棚の上に「私も見てよ」と言わんばかりに私の視界に入ってきた。ガレ工房に勝るとも劣らないドーム工房は、数々の分野の専門家を多く集め、そのモチーフは鳥、花、魚、虫などの、日本的な感性を粘土でリアルに作り、それを原型にして金型をつくる。 その金型に、ガラスを流し込んだり、吹き込む製法で作られた物(この製法はラリックと同じ)から、色ガラスにエナメル彩で遠近法で描かれた風景模様、そして古代の技法であったパート・ド・ヴールの再興による作品など、掃除をしていない少しくすんだドームの作品が哀れみを誘い、時代の深みを感じさせている。 薄暗い店の片隅には、パリのウジューヌ・ルソーの竹の葉模様やアザミ模様。そしてナンシー派の花鳥をモチーフにした作品が雑然と並び、アールヌーヴォー時代を触発させた、ジャポニズム・ジャポニカルアートの日本の感性が狭い店を席巻していた。

私が、自分の作品写真を師、竹内洪先生の作品写真を見せると「Mon Dieu!!(驚愕)」の声を発し、椅子を出しコーヒー、ビッテルまで出して「話を聞かせてくれ」と捲くし立てられたのには、こちらの方が「驚愕」!! 問われる侭に「師は世界で始めて12~3層の外被せ技法を開発した事、100段以上の立体彫刻が出来る事、カンヌ國際芸術グランプリを受賞した事、世界でサンドブラストの第一人者である事、自分も師の元で修行を続け、その技法を継承している事、自分の受賞歴、活動歴」などを学生時代に専攻した拙いフランス語で身振り、手振りで、理解して貰おうと一生懸命している姿は、先ほどの店の主と同じ事をしている自分の姿が滑稽に思わずにはいられなかった。(私がオリーブにみえたかも)

1時間余りの「とき」は、遠い国から着いたばかりの疲れを、心地よい充実感に満ちてくれた。 まばたく星を見上げ、清められた石畳の路地をホテルに向かう足取りは軽かった。店の主には悪いが、あの作品が又、この地を訪れるまで売れないでいる事を願いながら…。<オールボアール>